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KENOSPOUDI/AN

KENOSPOUDI/AN(軽挙妄動)

カテゴリ >> 人文科学 (3件)

     
 

人倫訓蒙図彙

 トリログに鳥取に関係の無い事をなかなか書きづらくなってはいますが、まあ気にせずやります。

  大阪に所要で行く折、船場に寄るのが楽しみになっています。このあたりは昔から繊維問屋が多くあり、それに付随して面白い商店が並びます。大阪万博の年に出来た船場センタービルの地下には老舗のカレー屋や喫茶店があり、当時と同じスタイルで営業しています。喫茶店の内装もウエイトレスさんも店とともにレトロな感じで、今となっては物珍しいくらいです。

 時間待ちのあいだ古本屋を物色し、戦利品をその喫茶店で眺めるわけです。 ビロード調の低いソファとくすんだ壁紙。もはや骨董品のような調度品に囲まれ、不思議と落ち着くのです。

 むかし鳥取駅前の喫茶店でアルバイトをしていました。とても厳しい店で、客の接待よりも掃除の時間が長いくらい実に細々とした規律がありました。新聞がちょっと傾いていただけでも叱られます。故人となったこの社長はいわゆる船場商人です。船場センタービルの喫茶店では、社長にきつく言われた事が今でも同じようにきちんとしてあって驚きました。なるほど船場の喫茶店を鳥取に持ち込もうとしたんだなと今さらながら納得したわけです。お客さんが新聞を待たずに読めるよう、数種類の新聞がそれぞれ数部ずつ、きちんと一直線に並んでいます。シュガーポットの裏を見れば洗いたてである事がわかります。冷蔵ショーケースのステンレスには1点の曇りも指紋の跡もありません。扉を閉める度に拭くからです。ただこういう店は近所のカフェに客足を奪われ、そう長く続きそうにないのが寂しいかぎりです。時代の流れですね。

 さて先月古本屋で入手したのはフィッセル「日本風俗備考」、藤枝晃雄「現代芸術の不満」、小林忠雄「色彩のフォークロア」、そして 朝倉治彦註「人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)」です。「人倫-」は元禄初期に書かれた本の復刻で、京都を中心とした当時の職業百科事典のようなものです。見出しだけで約500種の職業が網羅されており、その多くに挿絵が入っています。

  画像は瀬戸物屋と荒物屋。「所々にあり」というのは、たとえば職人町のように一ヶ所に集中せず、あちこちの町にもあるという意味合いです。瀬戸物屋では子供が商品を割らないようにヒモで結んであるのが洒落てます。こうした茶目っ気に描いた人の気持ちのゆとりを感じます。余裕がないと必要最低限の絵になっちゃいますから。当時の荒物屋は旅行用品と梱包資材を主に商っていたようですね。

  今も変わらず存在する職業や、形態の変わって行くものや、とうの昔に消え去った商売たち。現代に働く人々も、いずれは大きな時代の流れの中の過程の一部となるわけです。

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池田晶子氏

 以前著書について少し触れた哲学者の池田晶子さんが逝去されました。合掌。

 氏の著書との出会いは大阪梅田の紀伊国屋書店でした。中途半端な時間に行った記憶があるので、おそらく仕事の徹夜明けで帰宅する途中に立ち寄ったんだと思います。記録を読むと1991年となっているので、もうずいぶん昔のことです。手に取ったのは「事象そのものへ」で、威勢のいい文章の方だという印象でした。とびきり切れ口の鋭い書き方で、主に現代思想を標榜する人たちを正面から批判する姿がすがすがしいものでした。

  その著書はいくつかのパターンに分けられると思います。

・ 「考える人」、「~ソクラテス」のような、過去の哲学者の<姿勢>の再評価

・ 「14歳からの哲学」のような、哲学的思考の啓蒙

・ 「考える日々」のような、時事批評を装った哲学エッセー

 

 いわゆるニューアカの人たちは氏を一斉に無視しました。言論で勝てないとわかっていたからでしょう。小林秀雄の時と同じように、彼女が亡くなってから賑やかに批判するんでしょうが、もうそういう軽佻浮薄ぶりにはうんざりです。

 そんな輩がいい気になって批判するヘーゲルを、池田氏は思考背景に置いていました。「あれこれ批判する人がその対象をほんとうに理解しているかどうかは、ほんとうに理解している人にとって一目瞭然である」という当たり前な事が氏の強さの秘訣だったわけです。しかし「いつかヘーゲルをきちんと現代語訳する」と いう宣言は果たされませんでした。残念なことです。

 「当たり前なことばかり」という著書でも述べていたとおり、この世の「何かしらのおかしさ」の原因は、ちゃんと順序だてて考えないことによる 偽問題であると看破していました。だから「悩むな。考えよ」と繰り返してきたのだと思います。哲学界からもほとんど無視されてきたようですが、氏の登場後いかに多くの初心者向け哲学書が増えたかがその影響の大きさを物語っています。形而上学の再評価などは岩崎武雄氏以来の出来事ではないでしょうか。池田氏の蒔いた種はそ知らぬふりをして育って行ったようです。

 どれだけわかりやすく伝えるかが氏のテーマのようでした。それはもちろん有意義であったのですが、言語化が難しい本当の核心の部分を、難しいなりに書かれることはありませんでした。著書を読んでいて、もう一歩その奥を知りたい、という隔靴掻痒の感が残ってしまった印象はぬぐえません。もっとも池田氏は「そんなことは自分でお考えなさい」と、この世ならざるあの世から笑っているのかもしれません。

 

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最近買った本たち 2

1.勝っても負けても (池田晶子)
わかりやすい言葉で哲学を語る池田晶子の新刊。時事を哲学的に批判する連載物の単行本化です。哲学と時事ってのはかなり相反する方向性のもので、その苦労を見せないのが池田氏のいいところかな。でも本当は「事象そのものへ」みたいな、もっとハードなものを書いて欲しいものです。

2.無思想の発見 (養老孟司)
養老氏の最新刊。相変わらずの養老節だなあ、という気がしないでもないけど、最近の「バカの壁」シリーズよりもずっと読み応えがありました。日本人の無思想性ってのはずいぶん前から日本の哲学者や思想家が言ってたことだけど、これをもっぱらポジティブかつ平易に書くところがさすが養老氏の面目躍如。近著をあれこれ買うよりも、この1冊。
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